浜松まつり 五輪連ニュース 1.浜松まつりへの参加 12/04 2024 昭和49年(1974年)までの浜松まつりは、昭和30年以前から参加していた旧市街地にある67町が参加する祭りで、高台地区からは和地山、住吉の2町のみが参加していた。当時の凧揚げ会場は、和地山公園。 和合町も凧揚げに参加しようと、数名の発起人たちが中心になって昭和59年(1984年)準備委員会を発足した。五輪会の初代会長小澤浩康氏(故人)はその中心人物。 会員を募集するために、町民に向けビラを配り、皆さんへの周知を進め、47名の会員でスタート。凧の作り方、運営、さまざまな情報を他町から教わり、昭和60年(1985年)正月元旦の凧揚げに初参加。 その年の5月の浜松まつり本番には、会員が290名となり、参加者は640名となった。(法被の注文も468枚あったと記録にある) 和合町の凧印は、発起人たちでこの時定められた。 「凧印の意」 「浜松まつりは5月に行われ、子どもの祝日は5月5日と決められ、日本の国花、桜の花弁が5枚ある。これにあやかり町名の和合(ワゴー)を輪五(ワゴ)ともじり、五輪とした。五つの輪の重なりは、一人一人が互いに腕を組み、赤色は火のように燃え、心一つに固め、常念願を込め、この旗印にした」 ~五輪連15周年記念誌より~ 五輪連ニュース 全体を表示 お知らせTOPへ戻る